ヒンドゥーの神々は、腕が何本もあったり、動物の顔をしていたり、
ちょっと現実離れした姿で、極彩色に個性豊かに描かれています。
良くある質問は:
「こんな姿をした生き物が、本当にそこなへんをウロウロしているのか?」
「こんな形をした神様の存在は信じられないんだけと、どうやって受け止めたらいいのか?」
答えはずばり:
これらのフォーム(形)は、「ウパーシャ」と呼ばれる、
私達が全体と関係を持てるための助けとなる為に用意されたフォームなのです。
別に、それらのフォームを持っている個人が、どこかでウロウロしている必要はありません。
「神様を見てみたい!」という気持ちから、特定のフォームを見つけることが
目的になっている人達は沢山いますが、
この世界で見出したいのは、特定のフォームそのものではなく、
そのフォームが言い表さんとしている、普遍的な摂理、
自分の中にも外にも遍在する、物理や心理学の法則を認識出来るように、
それぞれの特定のフォームを頭に思い浮かべるように、文献の中で処方されているのです。
例えば:
障害物を司る神様、ガネーシャに祈ろう!と思い立った時、、、
この世界には「障害物全般」という、因果関係という法則に基づいて展開される、
概念とか摂理というものがあります。
自分個人に降りかかる障害物を取り除く為に、
「障害物全般」という摂理に働きかける行動として、祈りをするわけです。
なにかを祈るときに、「全般という摂理」を頭の中で想像する事を、
「ウパーサナ」といいます。
では、障害物全般と言う摂理を、イメージしてみよう!
とは言っても、、、何を考えていいのかいまいちピンと来ません。
そんな私達の為に、ヒンドゥーの文化では、
「これこれこういう形の像を想像すればよい。」と、
マントラやシュローカといった祈りを伝える文献の中で教えてくれているのです。
人気のガネーシャの容姿も、プラーナや、ガネーシャストートラムといった文献で
細かく伝えられています。
それを基にして、今私達が見ているガネーシャの姿が描かれているのです。
वक्रतुण्ड महाकाय सूर्यकोटिसमप्रभ ।
निर्विघ्नं कुरु मे देव सर्वकार्येषु सर्वदा ॥
vakratuṇḍa mahākāya sūryakoṭisamaprabha |
nirvighnaṃ kuru me deva sarvakāryeṣu sarvadā ||
वक्रतुण्ड [vakratuṇḍa] - 曲がった鼻を持った
महाकाय [mahākāya] - とても大きな体をした
他の神々も同様です。
ラクシュミーやサラスヴァティー、ヴィシュヌやシヴァなどの神々の
姿形や持ち物、乗り物、特徴などを描いたプレーヤー(祈り)の句は沢山あります。
これから機会を見つけて、どんどん紹介していきますね。
宇宙の摂理は1つという単位にまとめられますが、
富、知識、パワー、創造、維持、破壊、、、といったそれぞれの視点で、
それぞれの形が、ウパーサナの為に文献で教えられているのです。
「宇宙全体の1つの摂理と、自分とは一体である」という事実を、
常に明らかに観続けられる助けとして、ヒンドゥーの文化があるのです。
関連記事:
4つの人生のステージ(アーシュラマ)
カースト制度について
多神教?一神教?無神教?
ちょっと現実離れした姿で、極彩色に個性豊かに描かれています。
左から、ラクシュミー(富の女神)、ドゥルガー(創造・破壊の力)、サラスヴァティー(智恵・学問の女神)。 それぞれの手に、象徴的なアイテムを持っている。 |
良くある質問は:
「こんな姿をした生き物が、本当にそこなへんをウロウロしているのか?」
こんな感じで? |
「こんな形をした神様の存在は信じられないんだけと、どうやって受け止めたらいいのか?」
答えはずばり:
これらのフォーム(形)は、「ウパーシャ」と呼ばれる、
私達が全体と関係を持てるための助けとなる為に用意されたフォームなのです。
別に、それらのフォームを持っている個人が、どこかでウロウロしている必要はありません。
「神様を見てみたい!」という気持ちから、特定のフォームを見つけることが
目的になっている人達は沢山いますが、
この世界で見出したいのは、特定のフォームそのものではなく、
そのフォームが言い表さんとしている、普遍的な摂理、
自分の中にも外にも遍在する、物理や心理学の法則を認識出来るように、
それぞれの特定のフォームを頭に思い浮かべるように、文献の中で処方されているのです。
例えば:
障害物を司る神様、ガネーシャに祈ろう!と思い立った時、、、
この世界には「障害物全般」という、因果関係という法則に基づいて展開される、
概念とか摂理というものがあります。
自分個人に降りかかる障害物を取り除く為に、
「障害物全般」という摂理に働きかける行動として、祈りをするわけです。
なにかを祈るときに、「全般という摂理」を頭の中で想像する事を、
「ウパーサナ」といいます。
では、障害物全般と言う摂理を、イメージしてみよう!
とは言っても、、、何を考えていいのかいまいちピンと来ません。
そんな私達の為に、ヒンドゥーの文化では、
「これこれこういう形の像を想像すればよい。」と、
マントラやシュローカといった祈りを伝える文献の中で教えてくれているのです。
人気のガネーシャの容姿も、プラーナや、ガネーシャストートラムといった文献で
細かく伝えられています。
それを基にして、今私達が見ているガネーシャの姿が描かれているのです。
日本でも人気のガネーシャ君。 |
निर्विघ्नं कुरु मे देव सर्वकार्येषु सर्वदा ॥
vakratuṇḍa mahākāya sūryakoṭisamaprabha |
nirvighnaṃ kuru me deva sarvakāryeṣu sarvadā ||
वक्रतुण्ड [vakratuṇḍa] - 曲がった鼻を持った
महाकाय [mahākāya] - とても大きな体をした
सूर्यकोटिसमप्रभ [sūryakoṭisamaprabha] - 何億もの太陽の光を放つ
देव [deva] - デーヴァよ!
देव [deva] - デーヴァよ!
सर्वकार्येषु सर्वदा [sarvakāryeṣu sarvadā] - 全ての行いにおいて、常に、
निर्विघ्नं कुरु मे [nirvighnaṃ kuru me] - 私の為に障害物を取り除いてください。
このようなプレーヤー(祈り)の中で、ガネーシャの姿形が描かれています。
その姿形をイメージする事によって、「全ての障害物における摂理」という、
宇宙規模の「全体」と関わり、働きかけることが出来るのです。
この「祈る個人」が「宇宙全体」に働きかけるという行為が、
「個人」と「全体」との関わりの認識を助け、さらに
この「祈る個人」が「宇宙全体」に働きかけるという行為が、
「個人」と「全体」との関わりの認識を助け、さらに
「個人」と「全体」は、同一である事を理解出来る準備をしてくれるのです。
他の神々も同様です。
ラクシュミーやサラスヴァティー、ヴィシュヌやシヴァなどの神々の
姿形や持ち物、乗り物、特徴などを描いたプレーヤー(祈り)の句は沢山あります。
これから機会を見つけて、どんどん紹介していきますね。
宇宙の摂理は1つという単位にまとめられますが、
富、知識、パワー、創造、維持、破壊、、、といったそれぞれの視点で、
それぞれの形が、ウパーサナの為に文献で教えられているのです。
左から、破壊の象徴シヴァ神、維持継続の象徴ヴィシュヌ神、創造の象徴はブランマ神。 全ては1つだけれども、卵と雛、成鳥のように、視点を変えれば形も変わる。 |
「宇宙全体の1つの摂理と、自分とは一体である」という事実を、
常に明らかに観続けられる助けとして、ヒンドゥーの文化があるのです。
関連記事:
4つの人生のステージ(アーシュラマ)
カースト制度について
多神教?一神教?無神教?