2015年4月11日土曜日

五大元素(パンチャ・マハー・ブータ/パンチャ・タットヴァ)について

ヴェーダでは、

「あらゆる全てのものは、5つの要素からなる」と、教える時があります。

「あらゆる全てのものは、3つの要素からなる」と、教える時もあります。

ってことは、5つでも3つでもいいのかい?

はい、どうでも良いです。100でも何でも構いません。



五大元素という概念を使って、何を教えようとしているのか


「あらゆるもの全て」が把握出来れば、説明するモデルは何でも良いのです。

「あらゆるもの全て」を限られた要素からなるものだと理解出来れば、

「この世にあるものには全て限りがある」ということが分かり、

そして、全ての要素のあり方が、個人と全体に共通すると認識できれば、

「自分の身体も心も、この宇宙と全く離れていない」と分かるのです。

個人と全体に共通する法則を理解するために、デーヴァターが教えられているのです。

ヴェーダでは、デーヴァターを讃える多くの儀式が教えられていますが、

儀式そのものが教えでは無いのですよ。

そして最終的には、「私の本質は、5つの要素ではない」と、

理解出来るために、結局は否定される為に教えているのです。

「これは自分ではない」と否定するには、

綺麗に隈なく、何も残さずに否定しなければならないからです。


パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)の一覧と説明


仏教用語と混同されるのを防ぐ為に、英語を先に表記しました。

ヴェーダの知識に関して、ウィキペディアに記載されている日本語の情報は、
全くと言って良いほど信頼できない情報ですが、仏教の場合はどうなんでしょうかね。

ウィキペディアによると、仏教では、空間を「空虚」や「最上の境地」としているようです。

ヴェーダーンタは、あなたが「空虚」だと教えたりしません。
あなたが存在の原理なのだと教えます。

ヴェーダーンタは、あなたが「境地」に達することを教えません。
なぜなら、今そこにいるあなたが、全ての制限から自由な無限の存在だからです。


パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)は以下の5つです。

ヴェーダーンタの入門書として知られている「タットヴァ・ボーダ」に沿って説明します。

1.Space、空間(आकाशः [ākāśaḥ] アーカーシャ)

2.Air、空気(वायुः [vāyuḥ] ヴァーユ)

3.Fire、火(अग्निः [agniḥ] アグニ)

4.Water、水(आपः [āpaḥ] アプ)

5.Earth、地(पृथिवी [pṛthivī] プリティヴィー)



5つそれぞれに、

A.サットヴァ

B.ラジャス

C.タマス

という側面があります。

それぞれのサットヴァの側面から、
1.聴覚
2.触覚
3.視覚
4.味覚
5.嗅覚
という知覚が生まれました。

それぞれ知覚のデーヴァターは、
1.聴覚 ディグ(方角を司るデーヴァター)
2.触覚 ヴァーユ(風を司るデーヴァター)
3.視覚 スーリャ(太陽を司るデーヴァター)
4.味覚 ヴァルナ(水を司るデーヴァター)
5.嗅覚 アシュヴィン(医療を司るデーヴァター)

サットヴァの側面を5つを併せて、マインド(思考)になります。

マインドには4つの機能があります。
1)マナス(感覚的思考) チャンドラマー(月を司るデーヴァター)
2)ブッディ(理論的思考能力) ブランマー(智慧を司るデーヴァター)
3)アハンカーラ(自己認識) ルッドラ(シヴァの側面)
4)チッタ(記憶能力) ヴァースデーヴァ(ヴィシュヌの側面)


それぞれのラジャスの側面から、
1.話す為の器官 アグニ(火を司るデーヴァター) 
2.掴む為の器官(手)インドラ(力を司るデーヴァター) 
3.動く為の器官(足)ヴィシュヌ(安定維持を司るデーヴァター) 
4.排出器官 ムリッティユ(死を司るデーヴァター) 
5.生殖器官 プラジャーパティ(子孫繁栄を司るデーヴァター) 
という器官が生まれました。
それぞれのデーヴァターも併記しました。

ラジャスの側面を5つを併せて、プラーナ(生理機能)になります。

プラーナには5つの機能があります。
1)プラーナ(息を吐く機能)
2)アパーナ(息を吸う機能)
3)ヴィヤーナ(循環機能)
4)ウダーナ(排出機能)
5)サマーナ(消化吸収機能)


それぞれのタマスの側面からは、物質が形成されます。
この物質形成のプロセスを、パンチーカラナと呼びます。

まず、5つ全ての元素を半分にします。(50%)
その半分を、さらに4つに分けます。(12.5%)

1.Space、空間の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な空間が生まれます。

2.Air、空気の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な気体が生まれます。

3.Fire、火の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な火が生まれます。

4.Water、水の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な水が生まれます。

5.Earth、地の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な固体物質が生まれます。



お疲れ様です。。。

ヴェーダーンタを勉強するときに、初めの教科書として普通は、

「タットヴァ・ボーダ」というテキストに沿って、ヴェーダーンタの全体像を掴みます。


ヴェーダは科学ではない


私がリシケシでヴェーダーンタの勉強を始めた時も、タットヴァ・ボーダを教えてください、と先生に教えを乞うて、教えてもらいました。

その時は、この科学の進んだ時代に、宇宙全体をこんな古臭いモデルで説明しなくても、、、と正直思いました。

しかし、ヴェーダは科学ではないのです。

科学とは、目や耳と言った知覚から得たデータを元にして、そこから推論を立て、

実験をして再現し、推論を実証する。というステップです。(プラマーナの項参照)

しかし、ヴェーダが私達に伝えたい情報は、それらとは別のことです。

この宇宙にあるもの全てがどのようにして出来たのかが本題ではなく、

この宇宙の存在(リアリティー)について問いかけるものなのです。

ヴェーダが科学ではない、ということに関しては、また後日詳しく記事を書きますね。


五大元素(パンチャ・マハー・ブータ)の意味


ヴェーダの本題ではないのに、なぜ五大元素のモデルを勉強するのでしょうか。

それは、個人と宇宙全体が離れた存在では無い、ということをしっかり認識する為です。

「宇宙」というと、スケールが大きくて、何か知られていない存在、と聞こえますが、

あなたの身体も心も、しっかり宇宙の一部です。

あなたの心身の中で機能している、生理学の法則、物理学の法則、心理学の法則、Etc,

すべては、全宇宙共通です。

「宇宙空間」という時、あなたの部屋のスペースも、

あなたの心臓の中にあるスペースも、全部含まれているのです。

最近話題のダーク・マターもダーク・エナジーも、

あなたの歯や骨も、今までに感じたことや考えたことも、全ては、

五大元素(パンチャ・マハー・ブータ)の、サットヴァ・ラジャス・タマスの組み合わせです。

全てはミクロとマクロのレベルで変化し続け、個と全体は循環を続けています。

当たり前のことを並べているだけですが、

目先の事柄でいっぱいで、感情や習慣に流され、この当たり前のことが見えなくなりがちです。

それをしっかり見せてくれるのが、パンチャ・マハー・ブータのモデルです。

「私は、この宇宙全体と離れた存在では無い」と常にはっきり見える人には、

心の平安があり、周りの者すべてに対しての思いやりと愛情があります。

そんな人の心には、ヴェーダの最後の教え、ヴェーダーンタがすんなりと入ってくるのです。



追記:

タットヴァボーダについて、プージャスワミジが

「デーヴァターのところ、すごく大事だからね」と言っていたのを覚えています。

デーヴァターのところが一番古臭い感じがする、と昔は思っていましたが、

プージャスワミジの近くで勉強を続けさせてもらい、

「アーディバウティカ(आधिभौतिकम् [ādhibhautikam])、

元素や生物という側面から個人と全体が離れていないことを知る」だけでなく、

この「アーディダイヴァタ(आधिदैवतम् [ādhidaivatam])、

デーヴァター(様々な法則)という側面から個人と全体が離れていないことを知る」ことの重要性をいつも見せてもらっています。


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関連記事: 人生の目的とは何か


蚊も殺さない人になろう 誰でも出来る実践アヒムサー


原典に沿ってしっかり学ぶ、カルマの法則

カルマ(行為)と、カルマパラ(結果)、

ダルマ、アダルマ、プンニャ、パーパ、

など、インド哲学の範囲だけではなく、

日常生活に活かして欲しい知識を分かり易くまとめました。



人生の4つのステージ(アーシュラマ)








ガーヤットリー・マントラとは









・ ひとつひとつの音について、発音の口の動かし方の説明
・ 音の一覧表
・ 複合子音の発音と表記
・ ヴィサルガの発音
・ アヌッスヴァーラの発音
・ 用語一覧
・ サンスクリット文字の書き方の説明と練習


・ 正しい発音の音声(練習用ポーズつき)
・ 書き順が見られる動画
をそれぞれの音のページに付加しました。革命的勉強法です。

Kindle, iPad, iPhone, Android等の端末から、
無料のKindleアプリをを通して、音声&動画を閲覧出来ます。

2015年4月7日火曜日

4.サンニャーサ・アーシュラマ(人生のゴールを果たす為の生き方)

人生の、そして人間としての最後のステージです。

シャンカラーチャーリヤと、その4人の弟子:
(左から)トータカ、パドマパーダ、ハスターマラカ、スレーシュワラ
皆全員サンニャーシーです。


サンスクリット語による語源


「アス(अस् [as])」という動詞の原型に、

「サム(सम् [sam])」と「二(नि [ni])」の2つの接頭語を付加すると、

社会と家族からの全ての権利と義務を放棄する、つまり縁を絶つ、という意味になります。

最後に「ア(अ [a])」という接尾語をつけると、

「放棄すること」、つまり家族や社会から一切の権利を求めず、また義務も負わない、

持ち物を最小限にし、物乞いをしながら食いつなぎ、勉強を続ける、

そんな生活をすることです。


全ての権利と義務を放棄する目的は?


全てを放棄したのだから、時間がいっぱいあるはずです。

仕事や家族から物理的に離れていても、頭の中が「みんなどうしてるのかな?自分が居なくてもちゃんとやっていけているのかな?」と心配事だらけでは意味がありません。

今までの3つのアーシュラマを全うして生きてきたならば、人間として精神的に独立し、成長し切っているはずです。

そんな人のみが、サンニャーサ・アーシュラマに入ることが出来るのです。

残りの人生の時間を、物理的のみならず精神的にも、社会や家族から解放して、自由な時間を作るのですが、何の為にそんな時間を作るのでしょうか?

それは、ヴェーダの最後の部分を勉強する為です。

ヴェーダは人間の幸せの追求の最善の方法を教える経典です。その経典は、人間として生まれた者全てが求めているゴールについて教えています。

ヴェーダを経典として認めている人も認めていない人でも、欲しいものは一つです。

それは、全ての制限、苦しみ、悲しみからの、絶対的な自由です。

「絶対的な自由なんてあり得ない」という結論が先にあるので、目に見える幸せや体験で手を打っているだけなのです。

しかし、ヴェーダは「絶対的な自由はある。それはあなた自身だ」と教えます。そのヴェーダの最後の教えの部分は「ヴェーダーンタ」と呼ばれています。

ヴェーダーンタが教えようとしている、人間が追求すべき本当の幸福の意味は、精神的に成長した心によってのみ理解出来るのです。ゆえに、サンニャーサ・アーシュラマは、人生の最後の部分として設定されているのです。

ヴェーダーンタの理解の為の勉強と熟考に専念し、それ以外の義務と権利を全て放棄する生き方が、サンニャーサ・アーシュラマの生き方です。


シュリンゲリのシャンカラーチャーリヤと、その弟子。
ヴェーダ、サンスクリットはもちろん、あらゆる学問に長けているのが最低条件。


どのようにしてサンニャーシーになるか?


サンニャーサ・アーシュラマというステージで生きている人を「サンニャーシー」と呼びます。

サンニャーシーになるためには、ヴェーダーンタを教える先生に、「この人は精神的に独立していて、サンニャーシーとして生きながら、ヴェーダーンタを勉強し続け、その意味を理解出来るほどに成長している」と判断してもらわなければなりません。

先生もサンニャーシーである必要があります。先生に、サンニャーシーとして人生の最後のステージに入れてもらうことを「サンニャーサ・ディークシャ」と呼びます。

ヴェーダでは、徹夜で行われる、サンニャーシーになるための儀式が教えられています。先生から許可をもらい、そのヴェーダの儀式を済ませ、「サンニャーサ・ディークシャ」をもらい、初めて、そのひとはサンニャーシーとして生まれ変わります。

シュリンゲリのシャンカラーチャーリヤは代々、
一生に一回だけ弟子にサンニャーサ・ディクシャを与える。

サンニャーサはヴェーダ独特のもの


これらの4つのステージは、ヴェーダで教えられています。

最初の3つのステージはどの文化でも見られますが、ステージごとで達成されるべき目標と、なぜこのようなステージがあるのか、その意味をはっきり説明しているのがヴェーダです。

最初の3つは全ての文化に共通ですが、最後のステージであるサンニャーサの生き方を教えているのは、ヴェーダだけです。このサンニャーサというコンセプトがヴェーダの教える生き方のゴールを特徴付けていると言えます。

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2015年4月3日金曜日

月食&日食の時の過ごし方

2015年4月4日はインドでも皆既月食がみられます。

ヒンドゥーの文化では、月食と日食が起きる時には、特別な時間の過ごし方をします。

ちなみにこちらでは、15:45~19:15なので、授業が全部前倒しになり、

昼食は月食の起きる数時間前までに済ませるように、11時半に前倒しになり、

午後の授業は全てお休み。キッチンもテンプルも閉鎖。

月食が終わって初めて、テンプルの司祭やキッチンの料理人がお風呂に入り、

皆でプージャーをして、遅めのディナー、という予定です。

日食と月食を司るデーヴァター、
ラーフとケートゥ

ヒンドゥー文化での月食&日食の位置づけ


何千年も前から、ヴェーダの占星術では月食と日食を正しく算出して、

宗教的に過ごすようにと教えられています。


ヒンドゥーのカレンダーでも、毎年一年分の月食と日食の情報が、

いつから始まりいつ終わるのか、何月何日何時何分何秒の単位で、

インドのそれぞれの都市の時間の誤差も計算して記されています。


月食&日食の時の過ごし方


1.始まる前にお風呂に入る。近くに河があれば沐浴をするのが望ましい。

2.月食や日食が起きている間は外に出ない。観測するのも良くない。

3.食べない、人と交わらない、寝ない。

4.ジャパをして過ごす。(ジャパについては、また記事を書きますね。)

月食と日食の間にしたジャパによるプンニャは、通常の何千倍といわれます。
今がチャンスだ!

5.終われば再度お風呂に入る。もちろん河での沐浴が望ましい。

6.新しい服に着替える。

7.食べ物を用意するのは、月食や日食が終わって、お風呂に入って、着替えてから。

8.月食や日食が始まる数時間前から、ヒンドゥー寺院は閉鎖されます。

9.ダーナ(ブラーンマナに対して捧げ物をすること)に適している時間のことを「プンニャ・カーラ」と言いますが、月食と日食の日はそれに当たります。




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3.ヴァーナプラスタ・アーシュラマ(隠居生活の準備)

サンスクリット語による語源


「ヴァナ(वनम् [vanam])」とは森という意味のサンスクリット語です。
「プラスタ(प्रस्थ [prastha])」とは、そこに住んでいる人を指します。
併せて、家を出て森に住んでいる人、という意味になります。


森林に住む目的は?


森といっても、文字通りの森林である必要は無く、家庭と社会から距離を置くことの出来て、静かに独りの時間を楽しむことの出来る場所を指します。

自分の子供たちが自立出来るようになれば、家庭や家業の主導権は子供たちに譲ります。相談されない限りは口出しをせず、日々の忙しさから離れて暮らすことを学ぶのが、この期間です。

ジャパや瞑想、ヴェーダに関する文献の勉強をする時間を作るのが、引退して独りの時間を増やすことの目的です。

家庭から少し離れた独りで住める場所で、シンプルな生活を送りながら、物理的・経済的・心理的な依存を減らし、家族や社会のみならず、配偶者からも精神的な自立心を養うのがこのアーシュラマの目的です。

結婚の意味


歳をとってからの配偶者からの自立とは、少し冷たく聞こえるかもしれませんが、「成長の為に一緒に出来ることは全部やりきりましたね」と言えるようになることも良い事です。

結婚はゴールではなく、共に成長していく為のスタートです。一緒に苦楽を共にしながら独身でいては得られない成長を得られる、とても素晴らしい機会です。

宇宙の自然なあり方は、パートナーと共に生きて成長する、というように出来ています。結婚のゴールとは人間としての成長です。このゴールを見据えて結婚し、共に力を合わせて一緒にやるべきことをやり切るという姿勢も、健康的な姿勢と言えるでしょう。

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2015年4月2日木曜日

2.グラハスタ・アーシュラマ(家庭人)の義務

グラハスタという言葉の由来

ラハ(गृह)とは家のことです。
スタ(स्थ)とは、そこに留まっている人を指します。
つまり、家庭を築いている人のことを指します。


グラハスタ・アーシュラマとは


グラハスタ・アーシュラマの期間は25歳くらいから50歳くらい、要するに、結婚してから子供が独立するまでの間を指します。

グラハスタ・アーシュラマは、経済的(持ち物や財産)、社会的(地位、名声)、個人的(家族、パートナー)、などの望みを叶える為の、唯一の時期です。

ゆえに、家庭人はダルマに沿って積極的に生産・消費活動をすることが期待されます。

ダルマを一番に尊重しながら望みを達成することが社会貢献となり、同時に本人の精神的成長を助けるのです。

また、グラハスタ・アーシュラマは、他の3つのアーシュラマを経済的に支える唯一の時期でもあります。


パンチャマハーヤッニャ(家庭人の5つの義務)

पञ्चमहायज्ञाः [pañcamahāyajñāḥ]

ダルマは、どのような活動においても一番に尊重されなければなりません。

しかし、家庭人として、生産・消費活動を続けるにあたっては、他との競争に勝つ必要が出来たり、家族を守りながら生き延びて行く為に、ダルマにおいて妥協をしざるを得ない状況が出てくることもあります。
火を焚いて炊飯をしたり、掃除をするだけでも、多くの昆虫の命を奪っていることになります。

そういった日々の小さなダルマの妥協を、蓄積しないように中和するための行いが、「パンチャマハーヤッニャ」です。

「パンチャ」は「5」、「マハー」は「偉大な」、「ヤッニャ」は「儀式」と言う意味です。

「ヤッニャ(儀式)」とは、祭壇を使ってする儀式だけでなく、生活の中でする行為全てを指して使われます。
仕事をすることも、お風呂に入ることも、家族と平和な時間を過ごすことも全ては、ここにあるもの全て(イーシュワラ)に対してその栄光を讃え、感謝を示す儀式なのです。


1.ブランマ・ヤッニャ(ब्रह्मयज्ञः)


ヴェーダの勉強、文献の勉強、そしてサンスクリットの祈りの句をチャンティングすることを通して、ヴェーダとその文化に対しての尊敬と感謝を示し、この文化を次の世代に受け継いでもらう義務です。


2.ピトリ・ヤッニャ(पितृयज्ञः)


日本で言う先祖供養です。毎月の新月の日と、年に一回の命日に、残された家族がする儀式です。7世代以前の先祖を供養していることになります。
私達がここで平和に文化的に暮らしているのも、私達の先祖が、子孫へと命を繋げてくれ、文化を残してくれたお陰です。その尊敬と感謝と表す為にする儀式をする義務が家庭人にはあります。

3.デーヴァ・ヤッニャ(देवयज्ञः)


デーヴァとは、この宇宙が宇宙として成り立っている、全ての法則のことを指します。重力の法則、磁力の法則、生物学の法則、、、私たちの身体と心の全てにおいてにも共通して働いているこれらの法則がデーヴァ、あるいはデーヴァターです。
太陽が毎日昇り、目を開ければ視覚が起き、全てが法則どおりに循環している、、、この「当たり前」の奇跡に気付き、感謝を示すことが儀式です。
ヴェーダやプラーナでは、その儀式について決まりごとが述べられており、それに従うことが家庭人の義務とされています。

4.ブータ・ヤッニャ(भूतयज्ञः)


私達人間は、他の生物を消費する為だけには造られていません。
他の痛みに共感し、他の生物を育て守ることが出来る心身を持たされています。
毎日動植物に慈しみを与えるのも家庭人の義務です。


5.アティティ・ヤッニャ(अतिथियज्ञः)


アティティとは、予定を入れずに訪問してきたお客さんのことを指します。そのような突然の来客は神として扱うようにとヒンドゥーの文化では教えられています。
来客に限らず、人間に対する奉仕全般を指します。
機会があるごとに、ヴェーダの文化の継承に関わる人々や、ブランマチャリヤとサンニャーサ・アーシュラマの人々、また充分な食事の機会に恵まれない人々に食事やお金、生活用品を振舞うのも家庭人の義務です。


3.ヴァナプラスタ・アーシュラマ (隠居生活の準備)>>

人生の4つのステージ(アーシュラマ)

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1.ブランマチャーリャ・アーシュラマ (学生としての生き方)

ブランマチャーリャ・アーシュラマ(学生期)とは


人生の最初の約25年間は、立派な家庭人となるための準備期間です。

伝統的には、8歳~12歳くらいにヴェーダの勉強を始める儀式を行い、

ヴェーダを教える先生の家(グルクラ)に送られ、

住み込みで家事や牛の世話を手伝いながら約12年間かけて、

ヴェーダの暗唱とヴェーダに関する6つの教科(シャダンガ)を勉強します。


ヴェーダの伝統を守りながら生きる基礎を作る時期


自分の生まれた家系には、それに属するヴェーダの部分があり、

それを絶やさない為にヴェーダの勉強をするのです。

暗唱できるまで記憶したヴェーダは、その後家庭人になってから必要になる

日常/非日常の儀式を行う為に必要になります。

ブランマチャーリア・アーシュラマにおいての義務は主に、

朝早く起きて、先生の世話と勉強に専念することです。

12年間の先生の家での生活を終えたら、学生は地域の王様を訪ねます。

学問を推奨するのも王様の役目なのです。

ゆえに、学生が王宮に来ててヴェーダを暗唱を披露出来たなら、、

褒美として金品を与える、というシステムがあります。

現在のインドでも、僅かながら、そのようなシステムが残っています。

そのお金を先生のところに持って帰って、12年間のお礼として奉納します。


ヴェーダの伝統を生きる為の結婚


実家に帰ってからはブラブラせずにすぐ結婚して、

次のステージ、グラハスタ・アーシュラマ(家庭人としての生き方)に

速やかに移行することが望まれます。


タイッティリーヤ・ウパニシャッドでは、

ブランマチャーリア・アーシュラマを終えた学生への教えの部分があります。

वेदमनूच्याचार्योऽन्तेवासिनमनुशास्ति ।
ヴェーダを教えた後、先生が、住み込みの生徒に対して教えます。

सत्यं वद ।
真実を話しなさい。

धर्मं चर ।
ダルマ(正しい生き方)を生きなさい。

स्वाध्यायान् मा प्रमदः ।
ヴェーダの学習を続けなさい。

आचार्याय प्रियं धनमाहृत्य प्रजातन्तुं मा व्यवच्छेत्सीः ।
先生が喜ぶ財を収めた後、子孫を絶やしてはいけません。(結婚しなさい。)


2.グラハスタ・アーシュラマ(家庭人)の義務 >>

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人生の4つのステージ(アーシュラマ)

ヴェーダは、人間の正しい成長を促すために、一生の4つのステージを順々に生きるように教えています。

人生のステージは「アーシュラマ」と呼ばれます。
4つのアーシュラマにはそれぞれ果たすべき義務や、決まった生き方があります。

4つのステージは以下のとおりです。

1.ブランマチャーリャ・アーシュラマ (学生としての生き方)

人生の最初の24年間は、両親や先生の近くに住んで仕えながら、
しっかり勉強に打ち込む。


2.グラハスタ・アーシュラマ (家庭人としての生き方)

勉学を修めたら、勉強の成果を披露して褒美をもらいに王様のところへ行く。
(まだこのシステムが残っているところがインドにはあります。)
褒美をダクシナー(伝統に対する尊敬と感謝の印)として先生に渡し、
さっさと結婚をして、家庭の繁栄、社会への貢献に打ち込む。

3.ヴァナプラスタ・アーシュラマ (隠居生活の準備)

子供を結婚させたら、家庭での決定権を子供に譲り、相談されない限りは口出しをせず、
日常の忙しさから離れて暮らすことを学ぶ期間です。
独りで過ごす精神的な時間を増やして、家族や社会そして配偶者からも、
精神的な自立心を養うのが、このアーシュラマの目的です。

4.サンニャーサ・アーシュラマ (人生のゴールを果たす為の生き方)

やるべきことは全てやり終えた人は、社会だけでなく家庭の義務と権利を全て放棄し、
ヴェーダの最後の部分(ヴェーダーンタ)を勉強と熟考に専念する生き方です。

サンニャーシーになるためのヴェーダの儀式


「好きなことをする」のが本当に幸せなのか?


4つのアーシュラマを見ていると、それぞれの人生のステージが次から次へと、

本人の好き嫌いに関係なく決められているのが分かります。

西洋の自由主義を追いかけ、経済的・物質的に豊かになった日本では、

先にやるべきことが決まっていて、「やるべきことをする」人生は人権侵害で、

全てはオープンで自由、「やりたいことをする」人生でないといけない、

という条件付けの考えが普及しました。

しかし、それが本当に人間を幸せにしてくれるのでしょうか?


「好きなことをしないといけない」と言われても、、


誰でも皆、自分の好きなことがはっきりしているわけではありません。

また、皆が皆、自分の好きなことをはっきりさせる必要もありません。

なのに、日本では「自分の好きなことをしなければ」が一人歩きをしています。

「好きなことは?」と聞かれて、特に答えるものが無ければ、

それが自分にも周りにも問題になってしまいます。


「ニート」や「引きこもり」を作る条件


1.「これがあなたの義務です。嫌でもやってくださいね」と、

自信を持って若者に仕事を押し付ることが出来るしっかりした価値感を、

社会や家族が持っていない。

2.「好きなことをしないといけない」という既成概念。


これだけの条件が揃えば、「ニート」や「引きこもり」と、

人から呼ばれる生活をするのも当然の成り行きです。

条件は全て、社会や家族の価値感の問題なのに、

「ニート」や「引きこもり」というレッテルは個人に貼られる。

日本の社会において、大人が自信を持って「これをしろ、こう生きろ」と、

否が応でも押し付けることの出来る価値感と権限を失ってしまった結果です。


ヴェーダのベルトコンベア式押し付け人生


ヴェーダの教える生き方は、その逆です。

自分に与えられた役割は、既に星の位置(生まれた環境や運命)で決まっています。

「好きなことは何?」とは聞いてくれません。

しかし、自分に与えられた役割をこなしながら、

自分の人生を好きになる方法を沢山教えてくれます。

好きだろうが嫌いだろうが、やるべきことが決まっている

= 運命

= 宇宙の中の、私だけの唯一のポジション

= 一挙手一投足に、宇宙との調和を感じながら生きられる


少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これが客観的な事実です。

宇宙と調和している社会生活は、好き嫌いが原因の反応を減少させます。

好き嫌いが原因の反応こそが、精神的苦痛を産み、人間として小ささを表しているからです。


自分に与えられた生き方が好きになれる、それがヴェーダの価値感


占星術で使う、その人の生まれた時間の惑星の位置を記したチャートのように、

その人それぞれに、宇宙でのポジションと言うものが、唯一に与えられています。

それらは、楽しいことであったり、悲しいことであったり、好きなことであったり、

惨めになるくらい嫌なことであったりしますが、全ては自分の成長の為なのです。

成長してどうなるのか?ということにもヴェーダは、

ヴェーダーンタの中できちんと教えています。

人生いいことばかりではありませんが、全てを宇宙からのプラサーダとして受け取ると、

ここにあるもの全てに奇跡と感謝を感じながら、平和=幸せに生きることが出来ます。

「幸せになる為のサバイバルな人生」から、

「自分が幸せだから、他の生き物も幸せにしてあげられる」に、

「なりふり構わない消費者」から「優雅な貢献者」へと育ててくれるのが

ヴェーダの教える生き方なのです。