2015年3月28日土曜日

人生の目的とは何か

人間として生まれてきた意味は何か?

私は何を達成する為に生きているのか?

こんな基本的な質問に、日本社会ははっきりと答えることが出来ません。

作家が手探りで自分の意見を本に書いたり、

宗教やスピリチュアルを生業としている人達でさえ、

瞑想の方法や、欲しいものを楽して手に入れる方法は教えられても、

それって全部、結局何の為なの?と質問しても、

せいぜい、天国に行く為、とか、毎日楽しく暮らす為、ぐらいしか答えられない人しかいません。


日本には、「人生の目的とは何か」という根本的な質問に、

きっぱりと答えらる文化が無いのです。もしくはその文化が残っていないのです。



人生の目的とは?


という人間が生きていく上で必要であるべき主題が欠落したまま。

ただただフル回転で生産して消費しよ!というのはよく考えると異常です。

ドロップアウトして、ニートや引きこもりになるのも当然といえば当然です。



ヴェーダの文化はそこのあたりが完全にはっきりしています。

人生の目的とは、ずばり「幸せになること」です。

簡単すぎました?

でも、ここでずっこけたということは、今までの人生の中で

「人生の目的とは幸せになること」と明確に宣言したことがないからです。


「自分は幸せになるために生まれてきたのだ!」

「自分の幸せに貢献しないことは絶対したくない!」

「自分は~が~になれば幸せなのだ!」

とはっきり何の後ろめたさもなく言い切る為には、

「幸せとは」についてしっかり考えながら生き、考え抜かなければなりません。


私はインドに来てヴェーダーンタに出会うまでは

「私は幸せになりたい!」と思うことは自分勝手で良くない事だと思っていました。

自分の幸せは周りの迷惑の上に成り立っているというイメージがあったからです。

しかし、本当にそうでしょうか?

周りが幸せでなくて、自分が本当に幸せになれるでしょうか?

同時に、自分が幸せじゃないのに、周りを幸せに出来るでしょうか?

インドには「人間の幸せ」という主題について真剣に考える伝統があります。




「人生の目的」のことを、ヴェーダの文化では「プルシャ・アルタ」と言います。

「プルシャ」は「人間」で、「アルタ」は「望まれるもの」です。

人間という身体を持って生まれた生物、つまり自由意志を与えられた生物によって、

望まれる対象のことです。

プルシャアルタは4つあります。

1.ダルマ(アヒムサーなどの道徳的価値)

2.アルタ(安定。衣食住、家族、経済、名声などの安心材料)

3.カーマ(快楽。心と身体を喜ばせるもの全て)

4.モークシャ(あらゆる不幸の理由からの自由。完全な幸せ)

あらゆる人間のあらゆる欲望も願望も、全てこの4つのカテゴリーのどれかに収まります。


全てのプルシャ・アルタは、まずダルマがあってこそなので、

ダルマが最初に来るような順番で紹介されます。

ダルマを守って、ダルマの範囲内でアルタとカーマを追求する。

ダルマな人生を送ってきた人にのみ、モークシャの可能性がある。


人間の幸せとは


実は、全ての人間が欲しいものは、モークシャなのです。

モークシャ以外の幸せは、どんな形であれ全て制限つきの幸せです。

誰でも、無条件に幸せでありたいと願っている。あらゆる制限から解放されたいと願っている。

しかし、「制限なしの幸せ」なんて想像すら出来ないのが人間の脳みそという物です。

ヴェーダの文化圏外にいたら、そんな制限なしの幸せの可能性すら知らずに一生が過ぎます。

ゆえに、条件の中で「~が~になったら幸せ」と手を打っているのが全人類の傾向なのです。


では、そのモークシャとは何ぞや?

モークシャが何かをきっちり分かるのがモークシャです。

そのモークシャという知識を教えるのがヴェーダーンタです。


制限も条件も無い幸せなら、時間にも場所にも制限されてないわけですから、

その幸せは今ここにある、自分自身であるはずです。

「自分自身が幸せの本質である」というのが真実なのに、

その真実を知らずに「自分自身は制限だらけの惨めな存在である」というふうに

自分自身のことを知っている人には、無知と混乱があります。

無知を治すのは、知識です。経験ではありません。

特に瞑想による経験や、いわゆるスピリチュアルといわれる経験ではありません。

幸せを経験することがゴールと思っていること自体が混乱なのです。



ヨガや瞑想、そして食生活を含めたライフスタイルは、

モークシャへの準備の「手段」であって、「目的」そのものではありません。

大切でかけがえの無い手段ですが、その先に目的があることをお忘れなく!

ダルマに生きて、モークシャが何かをはっきり知るために、

ヴェーダーンタの教えを聞く準備が出来たとき、

ヴェーダーンタに触れる機会が自動的に訪れるのです。