2015年12月19日土曜日

ヴェーダの結婚観(ヤッニャ・サンヨーガ)


ムンダカ・ウパニシャッドのマントラ(1.2.7)で、
「ヴェーダの儀式に必要な18の要素」という言及があります。

18の要素とは、 4つのヴェーダからそれぞれ4人ずつ、16人の司祭。
それと、ヤジャマーナ(儀式をする本人、その人の名前で儀式がされる。ダクシナを払う人)が1人、
それと、ヤジャマーナの妻、パットニー。
儀式で得たプンニャ(徳)は、ヤジャマーナと妻で、半々だとヴェーダは教えているそうです。


ヴェーダの教える人生は、受精からお葬式まで、全てが儀式です。
生まれてから死ぬまで、決められた儀式を一つずつ順番にこなしていかなければなりません。

結婚もその一つです。

ヴェーダの文化では、人間は徳を積み、人間として成長するに、結婚をします。

徳を積むには祈りの儀式をしなくてはなりません。
儀式をするには、結婚をしなくてはなりません。
結婚して始めて、儀式をする義務と権利が生まれるのです。

それゆえに、結婚するのです。 
結婚がゴールでは全く無いのです。

結婚は、人間として成長するための、手段。

結婚して始めて人生の試練が始まるのです。

結婚したら、妻も夫も、参加する形は違えど、両方が儀式に参加しなくてはならない。

面白い例に、精製バター(ギー)は 、妻の目に触れてもらって、
やっと儀式で使えるようにお清めされたことになる、という決まりもあります。

ヴェーダの文化では、妻は「パットニー」と呼ばれます。
夫は「パティ」。

パーニニ文法では、「パティ(夫)」という言葉から、
「パットニー(妻)」という言葉を派生させます。
その時の文法的決まりが、
「ヤッニャサンヨーゲー(यज्ञयोगे [yajñasaṃyoge])」
パーニニ・スートラ4.1.33

ヤッニャ(
यज्ञ [yajña])とは、ヴェーダの儀式。
サンヨーガ(योग [saṃyoga]とは、くっつくこと。

意味はふたつあり、
1. ヴェーダの儀式を通して、ヴェーダ的に正式に婚姻関係を結んだ人。
2.ヴェーダの儀式をする為に、婚姻関係を結んだ人。

現代日本の結婚観とは、かなり違う結婚観です。


16人の司祭の説明はこちら:

現在執筆している何冊かの文法書のうちのひとつで、
関連事項としてフットノートをまとめたので、こちらにも転記します。

षोडश ऋत्विजः
यजुर्वेदः             यजुर्गणः           अध्वर्युः, प्रतिप्रस्थाता, नेष्टा, उन्नेता
ऋग्वेदः             होतृगणः            होता, मैत्रावरुणः, अच्छावकः, ग्रावस्तुतः
सामवेदः             अद्गातृगणः         उद्गाता, प्रस्तोता, प्रतिहर्ता, सुब्रह्मण्यः
अथर्ववेदः          ब्रह्मगणः          ब्रह्मा, ब्राह्मणाच्छंसी, आग्नीधरः, पोता
 पत्नी यजमानश्चेति अष्टादश ।
16人のヴェーダの司祭 
4つそれぞれのヴェーダには、4人の司祭が必要。4人組でひとつのグループ(ガナ) となる。

ヤジュル・ヴェーダのグループは「ヤジュル・ガナ」。
メンバーはそれぞれ、
アッドヴァリユ、プラティプラスターナー、ネーシュター、ウンネター

リグ・ヴェーダのグループは「ホートゥル・ガナ」。

メンバーはそれぞれ、 
ホーター、マイットラーヴァルナ、アッチャーヴァカ、グラーヴァストゥタ


サーマ・ヴェーダのグループは「ウッガートゥル・ガナ」。
メンバーはそれぞれ、 
ウッガーター、プラストーター、プラティハルター、スッブラマンニャ

アタルヴァ・ヴェーダのグループは「ブランマ・ガナ」。
メンバーはそれぞれ、 
ブランマー、ブランマナーッチャムシー、アーグニーダラ、ポーター


これで16人、
そして、ヤジャマーナと、ヤジャマーナの妻、パットニー。
これで、コンプリートなのです。

2015年10月25日日曜日

新刊のお知らせ:『祈りの理論&サンスクリット語の祈りのことば』を出版しました




私は日本でも、お祈りをしにお寺や神社、

ご先祖様のお墓を訪れることはありましたが、

毎日の習慣として、そして自己成長の手段として

お祈りを教えてもらったのはインドに来てからでした。

そして、祈りが、私の手をとって正しい方向へ導き、

時間を掛けながら私の人生を変えてくれました。

でも、祈りはインドにいなくても、どこに居ても出来ます。

私がインドに来る前、日本やアメリカで働いていたときに、

祈りについてもっと知るきっかけがあったら、

誰かに教えてもらっていたら、

祈りという、もうひとつの幸せになる手段、自己成長の手段があることを、

知っていたら良かっただろうな、と思います。

そういう思いでこの本を著しました。

とても縁起の良いヴィジャヤ・ダシャミー(विजयदशमी [vijayadaśamī])の日に、アマゾンで電子書籍を出版しました。

追記: 紙の書籍版もアマゾンで発売開始しました。

最初の理論の部分は、祈りを日本語で紹介することについて、
プージャ・スワミジに相談した際にいただいたアドヴァイスを反映させました。

私がプージャ・スワミジの元で学んだ、ヴェーダの伝統のスピリッツが、
端々にまで浸透している一冊です。

ヴェーダーンタやサンスクリット語に興味を持たれたて来た方が、
まず一番に習うプレーヤー(祈りの句)を、学び易いレイアウトでまとめました。



 こちらはKidle版です。(iPod, iPad, Androidでも読めます。)

追記: 紙の書籍版もアマゾンで発売開始しました。

それぞれのシュローカについて、祈りの目的の紹介、サンスクリット語の単語一語一語に関しての対訳、そして全体の訳、さらに発音のポイントを説明しています。

さらに、「祈りって何?」「誰に祈るの?」「神様を信じる必要はある?」といった、祈りの疑問に関しても、現代人の腑にすっきり落ちるよう、全て理論的に答えています。

幸せの意味、ヨーガの意味、といったコラムも挿入しました。

内容紹介

祈りは、幸せになりたいという望みを表現する行為です。
行為であるがゆえに、必ず結果を生みます。

第一部祈りの理論では、
「祈りとは何か」「誰に祈るのか」といった疑問対して、現代人の腑にすっと落ちる理論的な回答・解説をしています。

第二部サンスクリット語の祈りのシュローカ(詩句)では、
古来インドにおいて口伝で受け継がれてきたサンスクリット語の祈りの詩句を、一語一語ていねいに、伝統に沿って解説しました。

(印刷書籍版ページ数:108ページ)

目次

第一部 
祈りの理論
一、 祈りについて
1) 祈りとは 8
2) 行為とは 14
3) 自由意志とは 16
4) 自由意志が最も自由な行為、祈り 21
5) 祈りは必ず結果を生む 22
6) 祈りによって得られるもの(ベネフィット) 22
7) 祈りについて知ることが、祈りの効果を高める 25
8) 誰に対して祈るのか 25
9) 何を祈るのか 28
10) どうやって祈るか 32
11) 集合的な皆の祈り 36
12) 祈りのある生活 36

二、 サンスクリット語の祈りについて
1) ヴェーダとは 37
2) 祈りに関する知識 37
3) デーヴァターとは 38
4) デーヴァター達の姿かたち 38
5) ナマハ、ナマスカーラ 39
6) サンカルパ 40
7) マントラとは 41
8) シュローカとは 41
9) シュローカの意味 41


本書の発音と表記について 43


第二部 
サンスクリット語の祈りのシュローカ

1. ガネーシャへの祈り 48
2. サラッスヴァティーへの祈り 50
3. 先生への祈り 52
4. 文献の勉強の前にする祈り 54
5. 平和を願う祈り 60
6. 朝起きたときの祈り 68
7. お風呂に入るときの祈り 70
8. 食事の前の祈り 72
9. 一日を通しての祈り 74
10. 就寝前の祈り 78
11. 祈りの最後に唱えるシュローカ 80

付録1: ガネーシャへの祈り 88
付録2: ヨーガ・クラスの始まりの祈り 91
付録3: スーリヤ・ナマスカーラ・マントラ 96

全シュローカ集 99


= コラム目次 =
コラム – 1: 生まれてきた意味 67
コラム – 2: 幸せの意味 84
コラム – 3: ヴェーダが教える幸せの意味 86
コラム – 4: ヨーガの意味 87
コラム – 5: 人助けは自分の成長を助ける 90
コラム – 6: 思いやり、アヒムサー 94
コラム – 7: 祈りの作法と習慣 98


より多くの人の幸福と平和に貢献できますように。
祈りを込めて。

Medha Michika


アマゾンでのMedha Michikaの著書一覧

Medha Michikaの著書

も参照ください。



2015年7月27日月曜日

ヒンドゥー暦の時間の単位

1チャラナ(चरण)=43万2000年(太陽暦)

サッティヤ・ユガ 4チャラナ 172万8000年
トレータ・ユガ 3チャラナ 129万6000年
ドヴァパラ・ユガ 2チャラナ  86万4000年
カリ・ユガ 1チャラナ  43万2000年
-----------------------------------------------------------------------------
マハー・ユガ(4つのユガの合計) 432万年

1000マハー・ユガ = 1カルパ(43億2000万年)

ブランマー・ジーの昼間の半日 
= 宇宙が現れている(सृष्टिः) = 1カルパ

ブランマー・ジーの夜間の半日 
= 宇宙が現れていない(प्रलयः) = 1カルパ

ブランマー・ジーの1日 = 2カルパ(86億4000万年)

ブランマー・ジーの100年 = ブランマー・ジーの一生 
= 1マハー・カルパ
= 311兆400億年(7万2000カルパ)

ブランマー・ジーの一生で、宇宙の1サイクルが終わり。
サイクルは永遠に繰り返される。何が出てくるかは大体同じ。
人間(自由意志を持っている生命体)の現われる所には必ずヴェーダも現われて、必ず毎回サンスクリット語らしい。


現在は、どこでしょうか。(今日は2015年7月27日月曜日)
ヒンドゥー教では、サンカルパをする時に、現在のジオ・ポジショニングを毎回唱えます。
それによると、、、

今回のカルパの名前は、シュヴェータ・ヴァラーハ(白い猪)

今は、第2パラールダ。パラールダとは、ブランマージーの50年。

ヴァイヴァッスヴァタという名前の7つ目のマンヴァンタラ。

マンヴァンタラ = 71マハー・ユガ
1つのマンヴァンタラ後には、サムディ(4チャラナ=172万8000年)が来る。
1カルパ = 14マンヴァンタラ+15サムディ

ヴァイヴァッスヴァタ・マンヴァンタラの28回目のマハー・ユガ

カリ・ユガの最初の4分の1
カリ・ユガに入ってから5115年

今年は、マンマタ(キューピッド)という名前の年。
年の名前は60年で一回り。今年は29年目。

今は、夏至を越えたから、ダクシナーナヤと呼ばれる年の後半。今死ぬと、あまりいい天国に行けない。死ぬなら、冬至から夏至までのウッタラーヤナが良い。

今の季節は、6つある中で、ヴァルシャーと呼ばれる、雨季。

今月は、アーシャーダと呼ばれる月。月は12あるけど、月齢なので、何年に1回か増える。ちなみに先月は増えた月で、プルショーッタマと呼ばれる。

今は、新月から満月に向かっているので、シュックラ・パクシャと呼ばれる二週間の単位。

今日は、新月から11月齢日めの、エーカーダシーです。
ファスティングをする日ですね。私は毎回欠かさず続けて、8年になります!
曜日はソーマ・ヴァーサラ、ナクシャットラはアヌラーダーでした!


次回は、それぞれを表にまとめますね。


2015年4月11日土曜日

五大元素(パンチャ・マハー・ブータ/パンチャ・タットヴァ)について

ヴェーダでは、

「あらゆる全てのものは、5つの要素からなる」と、教える時があります。

「あらゆる全てのものは、3つの要素からなる」と、教える時もあります。

ってことは、5つでも3つでもいいのかい?

はい、どうでも良いです。100でも何でも構いません。



五大元素という概念を使って、何を教えようとしているのか


「あらゆるもの全て」が把握出来れば、説明するモデルは何でも良いのです。

「あらゆるもの全て」を限られた要素からなるものだと理解出来れば、

「この世にあるものには全て限りがある」ということが分かり、

そして、全ての要素のあり方が、個人と全体に共通すると認識できれば、

「自分の身体も心も、この宇宙と全く離れていない」と分かるのです。

個人と全体に共通する法則を理解するために、デーヴァターが教えられているのです。

ヴェーダでは、デーヴァターを讃える多くの儀式が教えられていますが、

儀式そのものが教えでは無いのですよ。

そして最終的には、「私の本質は、5つの要素ではない」と、

理解出来るために、結局は否定される為に教えているのです。

「これは自分ではない」と否定するには、

綺麗に隈なく、何も残さずに否定しなければならないからです。


パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)の一覧と説明


仏教用語と混同されるのを防ぐ為に、英語を先に表記しました。

ヴェーダの知識に関して、ウィキペディアに記載されている日本語の情報は、
全くと言って良いほど信頼できない情報ですが、仏教の場合はどうなんでしょうかね。

ウィキペディアによると、仏教では、空間を「空虚」や「最上の境地」としているようです。

ヴェーダーンタは、あなたが「空虚」だと教えたりしません。
あなたが存在の原理なのだと教えます。

ヴェーダーンタは、あなたが「境地」に達することを教えません。
なぜなら、今そこにいるあなたが、全ての制限から自由な無限の存在だからです。


パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)は以下の5つです。

ヴェーダーンタの入門書として知られている「タットヴァ・ボーダ」に沿って説明します。

1.Space、空間(आकाशः [ākāśaḥ] アーカーシャ)

2.Air、空気(वायुः [vāyuḥ] ヴァーユ)

3.Fire、火(अग्निः [agniḥ] アグニ)

4.Water、水(आपः [āpaḥ] アプ)

5.Earth、地(पृथिवी [pṛthivī] プリティヴィー)



5つそれぞれに、

A.サットヴァ

B.ラジャス

C.タマス

という側面があります。

それぞれのサットヴァの側面から、
1.聴覚
2.触覚
3.視覚
4.味覚
5.嗅覚
という知覚が生まれました。

それぞれ知覚のデーヴァターは、
1.聴覚 ディグ(方角を司るデーヴァター)
2.触覚 ヴァーユ(風を司るデーヴァター)
3.視覚 スーリャ(太陽を司るデーヴァター)
4.味覚 ヴァルナ(水を司るデーヴァター)
5.嗅覚 アシュヴィン(医療を司るデーヴァター)

サットヴァの側面を5つを併せて、マインド(思考)になります。

マインドには4つの機能があります。
1)マナス(感覚的思考) チャンドラマー(月を司るデーヴァター)
2)ブッディ(理論的思考能力) ブランマー(智慧を司るデーヴァター)
3)アハンカーラ(自己認識) ルッドラ(シヴァの側面)
4)チッタ(記憶能力) ヴァースデーヴァ(ヴィシュヌの側面)


それぞれのラジャスの側面から、
1.話す為の器官 アグニ(火を司るデーヴァター) 
2.掴む為の器官(手)インドラ(力を司るデーヴァター) 
3.動く為の器官(足)ヴィシュヌ(安定維持を司るデーヴァター) 
4.排出器官 ムリッティユ(死を司るデーヴァター) 
5.生殖器官 プラジャーパティ(子孫繁栄を司るデーヴァター) 
という器官が生まれました。
それぞれのデーヴァターも併記しました。

ラジャスの側面を5つを併せて、プラーナ(生理機能)になります。

プラーナには5つの機能があります。
1)プラーナ(息を吐く機能)
2)アパーナ(息を吸う機能)
3)ヴィヤーナ(循環機能)
4)ウダーナ(排出機能)
5)サマーナ(消化吸収機能)


それぞれのタマスの側面からは、物質が形成されます。
この物質形成のプロセスを、パンチーカラナと呼びます。

まず、5つ全ての元素を半分にします。(50%)
その半分を、さらに4つに分けます。(12.5%)

1.Space、空間の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な空間が生まれます。

2.Air、空気の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な気体が生まれます。

3.Fire、火の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な火が生まれます。

4.Water、水の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な水が生まれます。

5.Earth、地の元素の半分(50%)と、
その他の4つ(12.5% × 4)を組み合わせて、
物質的な固体物質が生まれます。



お疲れ様です。。。

ヴェーダーンタを勉強するときに、初めの教科書として普通は、

「タットヴァ・ボーダ」というテキストに沿って、ヴェーダーンタの全体像を掴みます。


ヴェーダは科学ではない


私がリシケシでヴェーダーンタの勉強を始めた時も、タットヴァ・ボーダを教えてください、と先生に教えを乞うて、教えてもらいました。

その時は、この科学の進んだ時代に、宇宙全体をこんな古臭いモデルで説明しなくても、、、と正直思いました。

しかし、ヴェーダは科学ではないのです。

科学とは、目や耳と言った知覚から得たデータを元にして、そこから推論を立て、

実験をして再現し、推論を実証する。というステップです。(プラマーナの項参照)

しかし、ヴェーダが私達に伝えたい情報は、それらとは別のことです。

この宇宙にあるもの全てがどのようにして出来たのかが本題ではなく、

この宇宙の存在(リアリティー)について問いかけるものなのです。

ヴェーダが科学ではない、ということに関しては、また後日詳しく記事を書きますね。


五大元素(パンチャ・マハー・ブータ)の意味


ヴェーダの本題ではないのに、なぜ五大元素のモデルを勉強するのでしょうか。

それは、個人と宇宙全体が離れた存在では無い、ということをしっかり認識する為です。

「宇宙」というと、スケールが大きくて、何か知られていない存在、と聞こえますが、

あなたの身体も心も、しっかり宇宙の一部です。

あなたの心身の中で機能している、生理学の法則、物理学の法則、心理学の法則、Etc,

すべては、全宇宙共通です。

「宇宙空間」という時、あなたの部屋のスペースも、

あなたの心臓の中にあるスペースも、全部含まれているのです。

最近話題のダーク・マターもダーク・エナジーも、

あなたの歯や骨も、今までに感じたことや考えたことも、全ては、

五大元素(パンチャ・マハー・ブータ)の、サットヴァ・ラジャス・タマスの組み合わせです。

全てはミクロとマクロのレベルで変化し続け、個と全体は循環を続けています。

当たり前のことを並べているだけですが、

目先の事柄でいっぱいで、感情や習慣に流され、この当たり前のことが見えなくなりがちです。

それをしっかり見せてくれるのが、パンチャ・マハー・ブータのモデルです。

「私は、この宇宙全体と離れた存在では無い」と常にはっきり見える人には、

心の平安があり、周りの者すべてに対しての思いやりと愛情があります。

そんな人の心には、ヴェーダの最後の教え、ヴェーダーンタがすんなりと入ってくるのです。



追記:

タットヴァボーダについて、プージャスワミジが

「デーヴァターのところ、すごく大事だからね」と言っていたのを覚えています。

デーヴァターのところが一番古臭い感じがする、と昔は思っていましたが、

プージャスワミジの近くで勉強を続けさせてもらい、

「アーディバウティカ(आधिभौतिकम् [ādhibhautikam])、

元素や生物という側面から個人と全体が離れていないことを知る」だけでなく、

この「アーディダイヴァタ(आधिदैवतम् [ādhidaivatam])、

デーヴァター(様々な法則)という側面から個人と全体が離れていないことを知る」ことの重要性をいつも見せてもらっています。


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関連記事: 人生の目的とは何か


蚊も殺さない人になろう 誰でも出来る実践アヒムサー


原典に沿ってしっかり学ぶ、カルマの法則

カルマ(行為)と、カルマパラ(結果)、

ダルマ、アダルマ、プンニャ、パーパ、

など、インド哲学の範囲だけではなく、

日常生活に活かして欲しい知識を分かり易くまとめました。



人生の4つのステージ(アーシュラマ)








ガーヤットリー・マントラとは









・ ひとつひとつの音について、発音の口の動かし方の説明
・ 音の一覧表
・ 複合子音の発音と表記
・ ヴィサルガの発音
・ アヌッスヴァーラの発音
・ 用語一覧
・ サンスクリット文字の書き方の説明と練習


・ 正しい発音の音声(練習用ポーズつき)
・ 書き順が見られる動画
をそれぞれの音のページに付加しました。革命的勉強法です。

Kindle, iPad, iPhone, Android等の端末から、
無料のKindleアプリをを通して、音声&動画を閲覧出来ます。

2015年4月7日火曜日

4.サンニャーサ・アーシュラマ(人生のゴールを果たす為の生き方)

人生の、そして人間としての最後のステージです。

シャンカラーチャーリヤと、その4人の弟子:
(左から)トータカ、パドマパーダ、ハスターマラカ、スレーシュワラ
皆全員サンニャーシーです。


サンスクリット語による語源


「アス(अस् [as])」という動詞の原型に、

「サム(सम् [sam])」と「二(नि [ni])」の2つの接頭語を付加すると、

社会と家族からの全ての権利と義務を放棄する、つまり縁を絶つ、という意味になります。

最後に「ア(अ [a])」という接尾語をつけると、

「放棄すること」、つまり家族や社会から一切の権利を求めず、また義務も負わない、

持ち物を最小限にし、物乞いをしながら食いつなぎ、勉強を続ける、

そんな生活をすることです。


全ての権利と義務を放棄する目的は?


全てを放棄したのだから、時間がいっぱいあるはずです。

仕事や家族から物理的に離れていても、頭の中が「みんなどうしてるのかな?自分が居なくてもちゃんとやっていけているのかな?」と心配事だらけでは意味がありません。

今までの3つのアーシュラマを全うして生きてきたならば、人間として精神的に独立し、成長し切っているはずです。

そんな人のみが、サンニャーサ・アーシュラマに入ることが出来るのです。

残りの人生の時間を、物理的のみならず精神的にも、社会や家族から解放して、自由な時間を作るのですが、何の為にそんな時間を作るのでしょうか?

それは、ヴェーダの最後の部分を勉強する為です。

ヴェーダは人間の幸せの追求の最善の方法を教える経典です。その経典は、人間として生まれた者全てが求めているゴールについて教えています。

ヴェーダを経典として認めている人も認めていない人でも、欲しいものは一つです。

それは、全ての制限、苦しみ、悲しみからの、絶対的な自由です。

「絶対的な自由なんてあり得ない」という結論が先にあるので、目に見える幸せや体験で手を打っているだけなのです。

しかし、ヴェーダは「絶対的な自由はある。それはあなた自身だ」と教えます。そのヴェーダの最後の教えの部分は「ヴェーダーンタ」と呼ばれています。

ヴェーダーンタが教えようとしている、人間が追求すべき本当の幸福の意味は、精神的に成長した心によってのみ理解出来るのです。ゆえに、サンニャーサ・アーシュラマは、人生の最後の部分として設定されているのです。

ヴェーダーンタの理解の為の勉強と熟考に専念し、それ以外の義務と権利を全て放棄する生き方が、サンニャーサ・アーシュラマの生き方です。


シュリンゲリのシャンカラーチャーリヤと、その弟子。
ヴェーダ、サンスクリットはもちろん、あらゆる学問に長けているのが最低条件。


どのようにしてサンニャーシーになるか?


サンニャーサ・アーシュラマというステージで生きている人を「サンニャーシー」と呼びます。

サンニャーシーになるためには、ヴェーダーンタを教える先生に、「この人は精神的に独立していて、サンニャーシーとして生きながら、ヴェーダーンタを勉強し続け、その意味を理解出来るほどに成長している」と判断してもらわなければなりません。

先生もサンニャーシーである必要があります。先生に、サンニャーシーとして人生の最後のステージに入れてもらうことを「サンニャーサ・ディークシャ」と呼びます。

ヴェーダでは、徹夜で行われる、サンニャーシーになるための儀式が教えられています。先生から許可をもらい、そのヴェーダの儀式を済ませ、「サンニャーサ・ディークシャ」をもらい、初めて、そのひとはサンニャーシーとして生まれ変わります。

シュリンゲリのシャンカラーチャーリヤは代々、
一生に一回だけ弟子にサンニャーサ・ディクシャを与える。

サンニャーサはヴェーダ独特のもの


これらの4つのステージは、ヴェーダで教えられています。

最初の3つのステージはどの文化でも見られますが、ステージごとで達成されるべき目標と、なぜこのようなステージがあるのか、その意味をはっきり説明しているのがヴェーダです。

最初の3つは全ての文化に共通ですが、最後のステージであるサンニャーサの生き方を教えているのは、ヴェーダだけです。このサンニャーサというコンセプトがヴェーダの教える生き方のゴールを特徴付けていると言えます。

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2015年4月3日金曜日

月食&日食の時の過ごし方

2015年4月4日はインドでも皆既月食がみられます。

ヒンドゥーの文化では、月食と日食が起きる時には、特別な時間の過ごし方をします。

ちなみにこちらでは、15:45~19:15なので、授業が全部前倒しになり、

昼食は月食の起きる数時間前までに済ませるように、11時半に前倒しになり、

午後の授業は全てお休み。キッチンもテンプルも閉鎖。

月食が終わって初めて、テンプルの司祭やキッチンの料理人がお風呂に入り、

皆でプージャーをして、遅めのディナー、という予定です。

日食と月食を司るデーヴァター、
ラーフとケートゥ

ヒンドゥー文化での月食&日食の位置づけ


何千年も前から、ヴェーダの占星術では月食と日食を正しく算出して、

宗教的に過ごすようにと教えられています。


ヒンドゥーのカレンダーでも、毎年一年分の月食と日食の情報が、

いつから始まりいつ終わるのか、何月何日何時何分何秒の単位で、

インドのそれぞれの都市の時間の誤差も計算して記されています。


月食&日食の時の過ごし方


1.始まる前にお風呂に入る。近くに河があれば沐浴をするのが望ましい。

2.月食や日食が起きている間は外に出ない。観測するのも良くない。

3.食べない、人と交わらない、寝ない。

4.ジャパをして過ごす。(ジャパについては、また記事を書きますね。)

月食と日食の間にしたジャパによるプンニャは、通常の何千倍といわれます。
今がチャンスだ!

5.終われば再度お風呂に入る。もちろん河での沐浴が望ましい。

6.新しい服に着替える。

7.食べ物を用意するのは、月食や日食が終わって、お風呂に入って、着替えてから。

8.月食や日食が始まる数時間前から、ヒンドゥー寺院は閉鎖されます。

9.ダーナ(ブラーンマナに対して捧げ物をすること)に適している時間のことを「プンニャ・カーラ」と言いますが、月食と日食の日はそれに当たります。




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3.ヴァーナプラスタ・アーシュラマ(隠居生活の準備)

サンスクリット語による語源


「ヴァナ(वनम् [vanam])」とは森という意味のサンスクリット語です。
「プラスタ(प्रस्थ [prastha])」とは、そこに住んでいる人を指します。
併せて、家を出て森に住んでいる人、という意味になります。


森林に住む目的は?


森といっても、文字通りの森林である必要は無く、家庭と社会から距離を置くことの出来て、静かに独りの時間を楽しむことの出来る場所を指します。

自分の子供たちが自立出来るようになれば、家庭や家業の主導権は子供たちに譲ります。相談されない限りは口出しをせず、日々の忙しさから離れて暮らすことを学ぶのが、この期間です。

ジャパや瞑想、ヴェーダに関する文献の勉強をする時間を作るのが、引退して独りの時間を増やすことの目的です。

家庭から少し離れた独りで住める場所で、シンプルな生活を送りながら、物理的・経済的・心理的な依存を減らし、家族や社会のみならず、配偶者からも精神的な自立心を養うのがこのアーシュラマの目的です。

結婚の意味


歳をとってからの配偶者からの自立とは、少し冷たく聞こえるかもしれませんが、「成長の為に一緒に出来ることは全部やりきりましたね」と言えるようになることも良い事です。

結婚はゴールではなく、共に成長していく為のスタートです。一緒に苦楽を共にしながら独身でいては得られない成長を得られる、とても素晴らしい機会です。

宇宙の自然なあり方は、パートナーと共に生きて成長する、というように出来ています。結婚のゴールとは人間としての成長です。このゴールを見据えて結婚し、共に力を合わせて一緒にやるべきことをやり切るという姿勢も、健康的な姿勢と言えるでしょう。

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2015年4月2日木曜日

2.グラハスタ・アーシュラマ(家庭人)の義務

グラハスタという言葉の由来

ラハ(गृह)とは家のことです。
スタ(स्थ)とは、そこに留まっている人を指します。
つまり、家庭を築いている人のことを指します。


グラハスタ・アーシュラマとは


グラハスタ・アーシュラマの期間は25歳くらいから50歳くらい、要するに、結婚してから子供が独立するまでの間を指します。

グラハスタ・アーシュラマは、経済的(持ち物や財産)、社会的(地位、名声)、個人的(家族、パートナー)、などの望みを叶える為の、唯一の時期です。

ゆえに、家庭人はダルマに沿って積極的に生産・消費活動をすることが期待されます。

ダルマを一番に尊重しながら望みを達成することが社会貢献となり、同時に本人の精神的成長を助けるのです。

また、グラハスタ・アーシュラマは、他の3つのアーシュラマを経済的に支える唯一の時期でもあります。


パンチャマハーヤッニャ(家庭人の5つの義務)

पञ्चमहायज्ञाः [pañcamahāyajñāḥ]

ダルマは、どのような活動においても一番に尊重されなければなりません。

しかし、家庭人として、生産・消費活動を続けるにあたっては、他との競争に勝つ必要が出来たり、家族を守りながら生き延びて行く為に、ダルマにおいて妥協をしざるを得ない状況が出てくることもあります。
火を焚いて炊飯をしたり、掃除をするだけでも、多くの昆虫の命を奪っていることになります。

そういった日々の小さなダルマの妥協を、蓄積しないように中和するための行いが、「パンチャマハーヤッニャ」です。

「パンチャ」は「5」、「マハー」は「偉大な」、「ヤッニャ」は「儀式」と言う意味です。

「ヤッニャ(儀式)」とは、祭壇を使ってする儀式だけでなく、生活の中でする行為全てを指して使われます。
仕事をすることも、お風呂に入ることも、家族と平和な時間を過ごすことも全ては、ここにあるもの全て(イーシュワラ)に対してその栄光を讃え、感謝を示す儀式なのです。


1.ブランマ・ヤッニャ(ब्रह्मयज्ञः)


ヴェーダの勉強、文献の勉強、そしてサンスクリットの祈りの句をチャンティングすることを通して、ヴェーダとその文化に対しての尊敬と感謝を示し、この文化を次の世代に受け継いでもらう義務です。


2.ピトリ・ヤッニャ(पितृयज्ञः)


日本で言う先祖供養です。毎月の新月の日と、年に一回の命日に、残された家族がする儀式です。7世代以前の先祖を供養していることになります。
私達がここで平和に文化的に暮らしているのも、私達の先祖が、子孫へと命を繋げてくれ、文化を残してくれたお陰です。その尊敬と感謝と表す為にする儀式をする義務が家庭人にはあります。

3.デーヴァ・ヤッニャ(देवयज्ञः)


デーヴァとは、この宇宙が宇宙として成り立っている、全ての法則のことを指します。重力の法則、磁力の法則、生物学の法則、、、私たちの身体と心の全てにおいてにも共通して働いているこれらの法則がデーヴァ、あるいはデーヴァターです。
太陽が毎日昇り、目を開ければ視覚が起き、全てが法則どおりに循環している、、、この「当たり前」の奇跡に気付き、感謝を示すことが儀式です。
ヴェーダやプラーナでは、その儀式について決まりごとが述べられており、それに従うことが家庭人の義務とされています。

4.ブータ・ヤッニャ(भूतयज्ञः)


私達人間は、他の生物を消費する為だけには造られていません。
他の痛みに共感し、他の生物を育て守ることが出来る心身を持たされています。
毎日動植物に慈しみを与えるのも家庭人の義務です。


5.アティティ・ヤッニャ(अतिथियज्ञः)


アティティとは、予定を入れずに訪問してきたお客さんのことを指します。そのような突然の来客は神として扱うようにとヒンドゥーの文化では教えられています。
来客に限らず、人間に対する奉仕全般を指します。
機会があるごとに、ヴェーダの文化の継承に関わる人々や、ブランマチャリヤとサンニャーサ・アーシュラマの人々、また充分な食事の機会に恵まれない人々に食事やお金、生活用品を振舞うのも家庭人の義務です。


3.ヴァナプラスタ・アーシュラマ (隠居生活の準備)>>

人生の4つのステージ(アーシュラマ)

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1.ブランマチャーリャ・アーシュラマ (学生としての生き方)

ブランマチャーリャ・アーシュラマ(学生期)とは


人生の最初の約25年間は、立派な家庭人となるための準備期間です。

伝統的には、8歳~12歳くらいにヴェーダの勉強を始める儀式を行い、

ヴェーダを教える先生の家(グルクラ)に送られ、

住み込みで家事や牛の世話を手伝いながら約12年間かけて、

ヴェーダの暗唱とヴェーダに関する6つの教科(シャダンガ)を勉強します。


ヴェーダの伝統を守りながら生きる基礎を作る時期


自分の生まれた家系には、それに属するヴェーダの部分があり、

それを絶やさない為にヴェーダの勉強をするのです。

暗唱できるまで記憶したヴェーダは、その後家庭人になってから必要になる

日常/非日常の儀式を行う為に必要になります。

ブランマチャーリア・アーシュラマにおいての義務は主に、

朝早く起きて、先生の世話と勉強に専念することです。

12年間の先生の家での生活を終えたら、学生は地域の王様を訪ねます。

学問を推奨するのも王様の役目なのです。

ゆえに、学生が王宮に来ててヴェーダを暗唱を披露出来たなら、、

褒美として金品を与える、というシステムがあります。

現在のインドでも、僅かながら、そのようなシステムが残っています。

そのお金を先生のところに持って帰って、12年間のお礼として奉納します。


ヴェーダの伝統を生きる為の結婚


実家に帰ってからはブラブラせずにすぐ結婚して、

次のステージ、グラハスタ・アーシュラマ(家庭人としての生き方)に

速やかに移行することが望まれます。


タイッティリーヤ・ウパニシャッドでは、

ブランマチャーリア・アーシュラマを終えた学生への教えの部分があります。

वेदमनूच्याचार्योऽन्तेवासिनमनुशास्ति ।
ヴェーダを教えた後、先生が、住み込みの生徒に対して教えます。

सत्यं वद ।
真実を話しなさい。

धर्मं चर ।
ダルマ(正しい生き方)を生きなさい。

स्वाध्यायान् मा प्रमदः ।
ヴェーダの学習を続けなさい。

आचार्याय प्रियं धनमाहृत्य प्रजातन्तुं मा व्यवच्छेत्सीः ।
先生が喜ぶ財を収めた後、子孫を絶やしてはいけません。(結婚しなさい。)


2.グラハスタ・アーシュラマ(家庭人)の義務 >>

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人生の4つのステージ(アーシュラマ)

ヴェーダは、人間の正しい成長を促すために、一生の4つのステージを順々に生きるように教えています。

人生のステージは「アーシュラマ」と呼ばれます。
4つのアーシュラマにはそれぞれ果たすべき義務や、決まった生き方があります。

4つのステージは以下のとおりです。

1.ブランマチャーリャ・アーシュラマ (学生としての生き方)

人生の最初の24年間は、両親や先生の近くに住んで仕えながら、
しっかり勉強に打ち込む。


2.グラハスタ・アーシュラマ (家庭人としての生き方)

勉学を修めたら、勉強の成果を披露して褒美をもらいに王様のところへ行く。
(まだこのシステムが残っているところがインドにはあります。)
褒美をダクシナー(伝統に対する尊敬と感謝の印)として先生に渡し、
さっさと結婚をして、家庭の繁栄、社会への貢献に打ち込む。

3.ヴァナプラスタ・アーシュラマ (隠居生活の準備)

子供を結婚させたら、家庭での決定権を子供に譲り、相談されない限りは口出しをせず、
日常の忙しさから離れて暮らすことを学ぶ期間です。
独りで過ごす精神的な時間を増やして、家族や社会そして配偶者からも、
精神的な自立心を養うのが、このアーシュラマの目的です。

4.サンニャーサ・アーシュラマ (人生のゴールを果たす為の生き方)

やるべきことは全てやり終えた人は、社会だけでなく家庭の義務と権利を全て放棄し、
ヴェーダの最後の部分(ヴェーダーンタ)を勉強と熟考に専念する生き方です。

サンニャーシーになるためのヴェーダの儀式


「好きなことをする」のが本当に幸せなのか?


4つのアーシュラマを見ていると、それぞれの人生のステージが次から次へと、

本人の好き嫌いに関係なく決められているのが分かります。

西洋の自由主義を追いかけ、経済的・物質的に豊かになった日本では、

先にやるべきことが決まっていて、「やるべきことをする」人生は人権侵害で、

全てはオープンで自由、「やりたいことをする」人生でないといけない、

という条件付けの考えが普及しました。

しかし、それが本当に人間を幸せにしてくれるのでしょうか?


「好きなことをしないといけない」と言われても、、


誰でも皆、自分の好きなことがはっきりしているわけではありません。

また、皆が皆、自分の好きなことをはっきりさせる必要もありません。

なのに、日本では「自分の好きなことをしなければ」が一人歩きをしています。

「好きなことは?」と聞かれて、特に答えるものが無ければ、

それが自分にも周りにも問題になってしまいます。


「ニート」や「引きこもり」を作る条件


1.「これがあなたの義務です。嫌でもやってくださいね」と、

自信を持って若者に仕事を押し付ることが出来るしっかりした価値感を、

社会や家族が持っていない。

2.「好きなことをしないといけない」という既成概念。


これだけの条件が揃えば、「ニート」や「引きこもり」と、

人から呼ばれる生活をするのも当然の成り行きです。

条件は全て、社会や家族の価値感の問題なのに、

「ニート」や「引きこもり」というレッテルは個人に貼られる。

日本の社会において、大人が自信を持って「これをしろ、こう生きろ」と、

否が応でも押し付けることの出来る価値感と権限を失ってしまった結果です。


ヴェーダのベルトコンベア式押し付け人生


ヴェーダの教える生き方は、その逆です。

自分に与えられた役割は、既に星の位置(生まれた環境や運命)で決まっています。

「好きなことは何?」とは聞いてくれません。

しかし、自分に与えられた役割をこなしながら、

自分の人生を好きになる方法を沢山教えてくれます。

好きだろうが嫌いだろうが、やるべきことが決まっている

= 運命

= 宇宙の中の、私だけの唯一のポジション

= 一挙手一投足に、宇宙との調和を感じながら生きられる


少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これが客観的な事実です。

宇宙と調和している社会生活は、好き嫌いが原因の反応を減少させます。

好き嫌いが原因の反応こそが、精神的苦痛を産み、人間として小ささを表しているからです。


自分に与えられた生き方が好きになれる、それがヴェーダの価値感


占星術で使う、その人の生まれた時間の惑星の位置を記したチャートのように、

その人それぞれに、宇宙でのポジションと言うものが、唯一に与えられています。

それらは、楽しいことであったり、悲しいことであったり、好きなことであったり、

惨めになるくらい嫌なことであったりしますが、全ては自分の成長の為なのです。

成長してどうなるのか?ということにもヴェーダは、

ヴェーダーンタの中できちんと教えています。

人生いいことばかりではありませんが、全てを宇宙からのプラサーダとして受け取ると、

ここにあるもの全てに奇跡と感謝を感じながら、平和=幸せに生きることが出来ます。

「幸せになる為のサバイバルな人生」から、

「自分が幸せだから、他の生き物も幸せにしてあげられる」に、

「なりふり構わない消費者」から「優雅な貢献者」へと育ててくれるのが

ヴェーダの教える生き方なのです。


2015年3月28日土曜日

人生の目的とは何か

人間として生まれてきた意味は何か?

私は何を達成する為に生きているのか?

こんな基本的な質問に、日本社会ははっきりと答えることが出来ません。

作家が手探りで自分の意見を本に書いたり、

宗教やスピリチュアルを生業としている人達でさえ、

瞑想の方法や、欲しいものを楽して手に入れる方法は教えられても、

それって全部、結局何の為なの?と質問しても、

せいぜい、天国に行く為、とか、毎日楽しく暮らす為、ぐらいしか答えられない人しかいません。


日本には、「人生の目的とは何か」という根本的な質問に、

きっぱりと答えらる文化が無いのです。もしくはその文化が残っていないのです。



人生の目的とは?


という人間が生きていく上で必要であるべき主題が欠落したまま。

ただただフル回転で生産して消費しよ!というのはよく考えると異常です。

ドロップアウトして、ニートや引きこもりになるのも当然といえば当然です。



ヴェーダの文化はそこのあたりが完全にはっきりしています。

人生の目的とは、ずばり「幸せになること」です。

簡単すぎました?

でも、ここでずっこけたということは、今までの人生の中で

「人生の目的とは幸せになること」と明確に宣言したことがないからです。


「自分は幸せになるために生まれてきたのだ!」

「自分の幸せに貢献しないことは絶対したくない!」

「自分は~が~になれば幸せなのだ!」

とはっきり何の後ろめたさもなく言い切る為には、

「幸せとは」についてしっかり考えながら生き、考え抜かなければなりません。


私はインドに来てヴェーダーンタに出会うまでは

「私は幸せになりたい!」と思うことは自分勝手で良くない事だと思っていました。

自分の幸せは周りの迷惑の上に成り立っているというイメージがあったからです。

しかし、本当にそうでしょうか?

周りが幸せでなくて、自分が本当に幸せになれるでしょうか?

同時に、自分が幸せじゃないのに、周りを幸せに出来るでしょうか?

インドには「人間の幸せ」という主題について真剣に考える伝統があります。




「人生の目的」のことを、ヴェーダの文化では「プルシャ・アルタ」と言います。

「プルシャ」は「人間」で、「アルタ」は「望まれるもの」です。

人間という身体を持って生まれた生物、つまり自由意志を与えられた生物によって、

望まれる対象のことです。

プルシャアルタは4つあります。

1.ダルマ(アヒムサーなどの道徳的価値)

2.アルタ(安定。衣食住、家族、経済、名声などの安心材料)

3.カーマ(快楽。心と身体を喜ばせるもの全て)

4.モークシャ(あらゆる不幸の理由からの自由。完全な幸せ)

あらゆる人間のあらゆる欲望も願望も、全てこの4つのカテゴリーのどれかに収まります。


全てのプルシャ・アルタは、まずダルマがあってこそなので、

ダルマが最初に来るような順番で紹介されます。

ダルマを守って、ダルマの範囲内でアルタとカーマを追求する。

ダルマな人生を送ってきた人にのみ、モークシャの可能性がある。


人間の幸せとは


実は、全ての人間が欲しいものは、モークシャなのです。

モークシャ以外の幸せは、どんな形であれ全て制限つきの幸せです。

誰でも、無条件に幸せでありたいと願っている。あらゆる制限から解放されたいと願っている。

しかし、「制限なしの幸せ」なんて想像すら出来ないのが人間の脳みそという物です。

ヴェーダの文化圏外にいたら、そんな制限なしの幸せの可能性すら知らずに一生が過ぎます。

ゆえに、条件の中で「~が~になったら幸せ」と手を打っているのが全人類の傾向なのです。


では、そのモークシャとは何ぞや?

モークシャが何かをきっちり分かるのがモークシャです。

そのモークシャという知識を教えるのがヴェーダーンタです。


制限も条件も無い幸せなら、時間にも場所にも制限されてないわけですから、

その幸せは今ここにある、自分自身であるはずです。

「自分自身が幸せの本質である」というのが真実なのに、

その真実を知らずに「自分自身は制限だらけの惨めな存在である」というふうに

自分自身のことを知っている人には、無知と混乱があります。

無知を治すのは、知識です。経験ではありません。

特に瞑想による経験や、いわゆるスピリチュアルといわれる経験ではありません。

幸せを経験することがゴールと思っていること自体が混乱なのです。



ヨガや瞑想、そして食生活を含めたライフスタイルは、

モークシャへの準備の「手段」であって、「目的」そのものではありません。

大切でかけがえの無い手段ですが、その先に目的があることをお忘れなく!

ダルマに生きて、モークシャが何かをはっきり知るために、

ヴェーダーンタの教えを聞く準備が出来たとき、

ヴェーダーンタに触れる機会が自動的に訪れるのです。

2015年3月15日日曜日

[19] b. パーパ(プンニャの反対)

プンニャの反対がパーパです。アダルマの行為とその結果を指してパーパと呼びます。アダルマに関しては前項で見ましたが、アダルマを代表するのが、ヒムサー(暴力)の行為です。

人間や動植物を傷つける行為全般を指して、ヒムサーと呼びます。直接的・間接的に命を奪ったり、安心して生きる場所を脅かしたり、嘘をついたり、少しでも嫌な気分にさせる言動全てのあらゆる形の暴力がヒムサーです。

日本で生活する現代人にとって、食用の為に動物を殺すことは必要最低限の殺生ではありません。インドの人口の大部分は、何世代も生涯食肉を口にすること無く健康に生きています。自分の食物としての選択に、動物を入れるべきかどうか、現代人は忙しい時間を割いてでも、ゆっくり考え直す必要があります。お店で売っているから、コマーシャルで美味しそうに宣伝してるから、レストランで出されているからといって、自分が動物を食べなくてはならない理由にはなりません。単なる無関心によるものだったり、周りのみんなが「いただきます」を殺生の免罪符に使えばよい、と言っているから、自分でも深く考えることなく、周りの言うことを自分でもオウムのようにリピートしているだけではないのか、向き合う時間を持ってみましょう。

アダルマの行為の中でもヒムサーが代表的なことから、一般的にはヒムサーの行為と、ヒムサーの行為から生まれる結果の両方を、パーパと呼びます。

パーパはプンニャの反対なので、不快と苦痛を経験させられる状況は、パーパを行った結果だと教えられています。

パーパの結果は生きている間に経験出来ます。死後に地獄に行くのを待たなくても良いのです。同じ一つの職場でも、ある人にとってはそこは天国で、また別の人にとってそこは地獄でもあります。人それぞれの経験が異るのは、プンニャとパーパの現われに違いがあるからです。


しかし、プンニャの経験も、パーパの経験も、どちらも永遠ではありません。時間の中で始まったり終わったりするものを経験と呼ぶのです。ゆえに、永遠の天国や永遠の地獄というものは無いのです。どんなプンニャやパーパでも、時間と共に消化され、遅かれ早かれ終わりが来るのです。

[18] a. プンニャ(あらゆる意味での幸運)

正しい時間に正しい場所に私達を連れて行ってくれるのが、プンニャです。自分の思い通りに事が運んだり、思い通りではなくても結果的に自分にとって良い結果を生むように事が進むのは、プンニャという見えない結果が作用した為だと説明されます。

私達は、何かを達成する時は必ず、正しい時間に正しい場所に居なければなりません。英語で言うRight place at the right timeのことです。運命の人と出会う為には、その人が居る場所と時間に、自分が立ち会っていなければなりません。

しかし、何処が正しい場所なのか、何時が正しい時なのかを知る術は、私達にはありません。私達の予測とは無関係に、正しい場所で正しい人に出会ったり、あるいはタイミング悪く事故にあったりしてきました。それらは全て偶然という名のもとに毎日毎秒起きているのです。

それなのにも関わらず、私達は毎日生き延びて生活を営んでいます。当たり前といえば当たり前の毎日ですが、カルマの法則に視点を置くと、全てが規則正しく実を結び続けて、オーケストラのようにひとつの大きな物語を奏でていて、全てが奇跡であることに気付かされます。

それに気付いた時、祈りという姿勢が自然と生まれます。「全てがうまく行きますように」という祈る行為で、宇宙のオーケストラに参加するのです。

もちろん、何もしなくても世界は回り続けます。しかしあなたには宇宙のオーケストラに参加出来る手段が身体や心の中に与えられているのです。手足や能力を使って貢献したり、自由意志を使って祈ることを選択出来るのです。

人間とは、人間の心身という特別なツールを持たされている生命体のことです。人間の手足は何かを獲得する為だけではなく、創造したり、守ったりすることも出来る非常に特別なツールです。人間の心は、人の痛みを感じたり、理論的に考えたり、祈ったりすることが出来る、特別に高貴なツールです。それを賢く使うか使わないかは、あなたの自由意志が賢く使われるかどうかに掛かっているのです。自由意志とは、あなたが賢く使う為に与えられているのです。しかし、大多数の人間にとっては、自由意志というものは、誤用、悪用、不正使用される為のものになっています。

心、言葉、そして身体を使って祈りを表現する時、つまりこの宇宙のオーケストラに調和という形で参加した時、その人にプンニャが発生します。そのプンニャがその人を正しい時間に正しい場所へ連れて行ってくれ、その人に秩序ある綺麗に整理された心を与えてくれます。



安定や快楽を得る為にはもちろんプンニャが必要です。そしてプンニャが必要だということに目覚め、そのための行動を起こす為にもプンニャが必要です。さらに最終的にヴェーダーンタの知識を得る為にも多大なプンニャが必要です。先生に出会えること、先生と学べる環境が維持出来ること、先生に教えたもらった知識を理解出来る心が整っていること、全てはプンニャの表れなのです。