2014年12月13日土曜日

カースト制度について

インドやヨガに興味のある人には必ず知ってもらいたい事実 -


学校の社会科の勉強では、インドといえばヒンズー教、ヒンズー教といえばカースト制度、と習いました。
カースト制度と聞くと、「宗教が背景の悪習慣」というイメージがありますが、そのイメージはどこから来たのでしょうか。
今回は、このカースト制度について、しっかり学んで見ましょう。


歴史上どの時代や地域でも、だいたい社会構造のベースは世襲分業制であるように、
ヒンドゥー文化社会は世襲分業制がベースなっていました。

それを、カースト制度という悪名高き社会問題に発展させたのは、植民地支配者の作為的な政治とメディアです。

いろんな部署があり、統制がとれて皆が繁栄している会社があったとします。
その会社を潰す為に、それぞれの部署員が互いに憎みあうように入れ知恵したのがイギリスです。

自分たちの宗教や職業にコンプレックスを持たせ、社会分裂を起こし、社会構造を弱体化させる事を目的に、イギリスをはじめとするヨーロッパからの宣教師らがインド人を教育し始め、それが今でも続いているのです。



ちなみに、ヴェーダは、「人間は与えられた義務を果たしながら社会に貢献することによって、人間として成長出来る」と教えています。

どの職業に就くか、という職業ステータスなどは問題ではなく、どれだけちゃんと自分の責任が果たせられるか、が問題なのです。


「じゃあ、自分の義務を果たして社会の貢献者になって、人間として、本当の大人として成長するぞ!」と決めたら、「でも、私の義務、天職って何よ?」という問題にぶつかります。

「義務」の定義は、「その時その場所でその人に与えられた、やるべきこと」です。
この定義だと、社会や家族の責任はもちろん、通りがかりの人を助けるのも義務になります。

定職に関しては、自分の家族のしている職業を手伝う、引き継ぐのが自然であり、標準となっています。家業でなくても、社会から期待されている役割、自分に回って来た役割が、自分の運命、自分の役割です。
わざわざ自分の天職探しに時間と労力を費やすような無駄が省けて、その分自分の仕事と社会貢献に専念できます。

学歴や勤め先、職種にステータスの上下をつけて、就労者同士でも競争させて、「外資系の大企業」が勝ち組で、「地元の小さな家業」が負け組、という構図は、資本主義に都合の良い構図です。

資本主義により、「自由競争」が推奨され、労働者達を「自由」に競争させて、あたかも「自由に職業を選んでいる」と思い込ませて搾取する仕組みが、経済発展国の社会構造です。

社会貢献や人間としての成長よりも、競争に勝つことが優先されているが故の、経済発展国なのですから、国民が生きていることに虚無感を感じるのは当然ですね。





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